三陸に仕事を!プロジェクト

平成25年3月11日(月)    ~ ミサンガの現在 ~

1.田野畑村 ミサンガリーダー 工藤さん

自宅のある田野畑村島越地区で近所の方を助け出そうとし、津波にのまれましたが、奇跡的に家との間に挟まり助かった工藤さん。 仮設住宅での生活の中で、ミサンガに出会いリーダーとして活動してきました。 11年10月からは「震災語り部」として被災当日の自分の実体験や津波の恐ろしさ、避難所での生活、心のこもった支援を頂いた、全国の皆さんへの感謝を語り伝えています。 下の写真は4階まで被災したものの、1年半かけてリニューアルオープンした羅賀荘です。ミサンガに携わってくれたお母さんたちが仲居さんとして復帰し元気に働き始めました。

1年半かけてリニューアルオープンした羅賀荘

2.大船渡市三陸町越喜来 漁師のおつまみ研究所

浜のミサンガ「環」はここ三陸町越喜来から始まりました。 漁師のお父さんたちを陰ながら支えるお母さんたちは大の働きものでした。 牡蠣の殻むきや、漁具の修理や掃除、子供たちの事、年老いた両親の事など毎日、毎日働きづめでも明るく元気に動き回っていました。 忙しく活気があった毎日からすべての仕事を奪っていった今回の震災。 お母さんたちの活気を取り戻し、家族の支えになればとはじまった、浜のミサンガ「環」。仕事が無くなってしまったお母さんたちが手仕事で全国の方々と繋がり、の笑顔を取り戻す事が出来ました。 現在はミサンガチーム11名のお母さんたちが漁師のおつまみ研究所を立ち上げ 地元でしか食べることの出来なかった浜の家庭料理を次々と商品化し、食材や料理などを全国へむけて発信しています。

3.陸前高田市 広田湾Smile Banya 「環」

地震が起きた時、浜の作業場でわかめの選別をしていた陸前高田の船砥千幸さん。 死に物狂いで家族の暮らす家に戻ったところに大津波が押し寄せました。こども4人と孫1人で近所の高台に何とか駆け上り命は助かったものの家も車も預金通帳も財布も 全て流され、所持金2000円で避難所生活が始まりました。やっと出会えたミサンガ作りの仕事。とにかく家族を支え、何とか生きていくための唯一の仕事がミサンガでした。 彼女が作り上げた陸前高田チームはピーク時で30人。この2年間で19,261本のミサンガをつくり仲間たちと得た手仕事の対価は約12,519,650 円でした。今は、大津波から逃れた物語を地元陸前高田や全国で津波語りとして語り続け、ミサンガや地元で蘇ったホタテやわかめ等を販売・提供する仕事、漁師さんとツーリストの交流プログラム作りなどの復興ツーリズム受け入れで生計を立てています。

陸前高田・漁師さんとの交流プログラム1

陸前高田・復興語りガイドツアー 1/2

陸前高田・復興語りガイドツアー 2/2